同じ数字を持っていても意味が正反対なことがあります。
そういう場面に出くわした場合、その意味がどちらに当てはまるのか、
また、正反対であっても、どういう繋がりがあるのかを、自分でじっくり考えます。
聖書を読んだり祈っているのに、日常の出来事と繋ぐことが出来ないクリスチャンが多々いることに気付きます。
例えば・・・
・聖書に奇跡が起きる事が満載されているのに、現実の生活では、奇跡が起こることを大して信じてない、若しくは、奇跡を重要視しない。そういう思考の人は 奇跡がなかなか体験できない。
・聖書に「龍」が悪魔として書かれているのに、東洋の龍を、聖書の龍と繋げることが
出来ない。たまたま文化的に龍の伝承があるだけだと見くびっている。
・御言、御言、と御言を重要視しながら、徹底して御言を調べない。直接神様に尋ねるのではなく、コンコルダンスのみから答えを導こうとする。
・哲学がすべて悪いと思い込んでいるため 哲学をスルー。哲学者にユダヤ人、キリスト教徒も大勢いることに気付かない。神様が哲学者に知恵を与えることもあります。
・キリスト教以外を知ろうとしない。神様の世界は多面的。
・礼拝を守ることや礼拝献金を重視しながら、伝道しない・困った人を支援しない。
・ワクチンの陰謀論など存在しないと思っている。莫大に儲けている組織・企業の存在さえも考えてみない。死に至った・後遺症を負った人の数も、例外中の例外で超まれなケースだと思い込んでいる。ビルゲイツを著名人としか認識していない。イベント201も知らないし、メインストリームのニュース以外の情報はすべて陰謀論だから知りたくないというモードに浸っている。
・聖書に悪魔・悪霊の存在が書かれているため、聖書の文脈中ではそれらの存在を認めているが、実生活では悪魔・悪霊の存在をすることにピンと来ていない。
・クリスマスやイースターを異教の祝日だとして猛反対しながら、石鹼や洗剤を使うことは気にも止めない。石鹸は、古代バビロンの異教の習慣から来た文化。
徹底してクリスマスやイースターを毛嫌いする人は、1年のうち、いつイエス様の誕生と復活を祝うのでしょうか??
12月25日はキリストの誕生日ではなく、キリストが聖霊としてマリアの胎に宿った(conceive)日だと分析されています。よって、誕生日は、約9か月後の9月だと言われています。
ちなみに、一年のうち、12月25日に誕生する人の確率が一番稀であることが統計で出ています。