先月、コチラのチャンネルを見つけました。
お勧めです。
旧約聖書について、文化も理解しながら学べると感じます。
お互いに尊重している所がホンワカしてて嬉しくなる。
私事の体験談になりますが・・・
昨年5月、トーイツ信者の方が、実家にいる時に、ピンポーンと玄関訪問されました。
❝家庭○〇の者です。❞とおっしゃたので、ある種のNGOかと思いました。
「先日、お訪ねしたのですが、お母さまが署名に協力して下さったので、お礼にコチラの本をプレゼントしたいと思いまして。是非、本を読んでみて下さい。素晴らしいメッセージが託された本です。」と渡されました。
表紙の作者の名前をじーっと見た時、しばらく考えました。
どこかで目にした名前だったからです。
あっ・・・想い出した!😬
「もしかしてト~教会の方ですか?」と尋ねました。
一瞬、返事にひるまれましたが、
「・・・は、はい。そうです。ご存知ですか?」と。
組織について本当のことを知って欲しいと内心思いました。
そこで、彼女らと再度カフェかどこかで会って話をしたいと、約束を取りつけました。数日後、「教団の自社ビルの2階の部屋で会いませんか?教団の部屋を借りる許可を取り、当日、鍵を借りますので。」と、提案をされました。
場所的に気は向かなかったのですが、最終的にOKしました。当日、3~4人の方が同席するとおっしゃってました。
しかし、私が聖書について割と詳しいということを教団が察知したようで、教団は 彼女たちが私と会うことを危険視し始めました。信者を引き抜かれることを心配したようです。
前日になり、突然 彼女たちから会うのをお断りしたいとドタキャンの連絡がありました🙄 理由を尋ねると、「よくご存じな様子なので、多分お会いしても私たちでは質問にお答えできないと思いました。」と逃げるように電話を切ろうとされました。
残念でしたが、彼女たちとゆっくり話が出来ないまま終わりました🥺
その後、トー教団の信者は、第三者と交わした会話の一部始終を日誌で逐一報告することを守らされる義務があるという、のを知りました。
なぜ、そこまで組織に縛られたいのか…⁇ 🤒
最後にダメもとで、「時々でも一緒に福音書を読んでみませんか?」と誘ってみましたが、「私たちはキリスト教ではないので、指導者たちから 聖書を学ぶ必要がないと教わっています。」「イエスは過去の人で、文○○様が救世主です。」と仰っいました。
組織の指導者の指示に従うことが優先で、聖書を学ぶことは軽視されているのです。
それなら、❝キリスト教❞の一派だと名乗らなければ良いのに・・・。
このことがあった2カ月後(7月)、あの銃撃事件が起きました。
そして、昨日は、も〇○の塔の方2人が突然訪問されました。
公園で2時間ほど会話しました。警戒されたくないので、色んな宗教に興味があるだけです、と伝えました。ただ、私が聖書に詳しく手強いと思われたようで、もう会ってもらえないかもしれません? 私のほうは、またお会いしてジャンジャン話したいのですが😁
実際、私が聖書に詳しいと思うのは誤解です。彼らが聖書を知らなさすぎて、そう感じるだけです。教団から示された箇所だけ暗記しているのが見え見えです。こう質問をされたら、こう答えなさいという訓練を受けているだけなので、自分で考えない。まるでフローチャート形式に頼っているかのよう。聖霊に頼らずマニュアルに頼ってしまってます。一般的な質問には答えれても、少しでも稀な質問が来た時には答えれない。
そして、❝神を「主」と呼ぶのではなく「エ○バ」と呼ぶ必要がある❞と諭そうとされました。
「あっ、ゴメンナサイ。私は、神を神と呼ぼうと主と呼ぼうと、どちらでも良いと思ってます。もちろん、正確には神の名はヤーウェ(ヤー)ですが。エ○バと呼ぶのは間違いであるというのは御存知ですか?よかったら調べてみて下さい。」と返しました。
神の名前についてですが、解りやすい やりとりを見つけました。
個人的には、神の名をどう呼ぶのかについて、あまり拘り過ぎる必要はないと感じます。世界には多くの言語が存在しており、たとえ、少数部族のマイナー言語で呼んでも、神は御自身が呼ばれているのをご存知です。
正解の呼び名を使うから神と繋がるのではなく、まず、心で呼ぶから神と繋がるのです。たとえ言葉を発さずとも、心でピピピと繋がります。
かと言って、彼らは悪い人たちではありません。良い人たちです。
だからこそ、こういう組織から離れて欲しいと願います。
2回に渡る突然訪問の体験を通して悟ったことは、、、
何も知らないフリをした方が賢明なのかもしれないということです。
相手を警戒させてしまったのは失敗でした(-_-;)
❝能ある鷹は爪隠す❞
信長はウツケのフリをしました。
有名な戦国武将たちは、凡人の域を超えてました👏