今回も日月神事を考察してみました

日月神示の中で、真意が特に気になってしまうのはコチラ・・・

 

 

上の文章も、いくつかの意味で解釈できそうですが、

そのまま読むのであれば、聖書と矛盾するのを感じます。

なぜなら、人は行い(善行、善い心がけ)によっては救われないからです。人間の修行や人間の義は救いには到達しません。

世界には何万という新興宗教イデアが存在し、ほとんどが善いことやモラル的な事を教えます。でも、すべてが真理には届きませんよね。だから、善いことを教える宗教や教えであれば何でもOKとなれば、これも問題です。

 

救いの基準は・・・

神が、人類のために遣わされた御子が、自分の罪のために犠牲になって下さったことを心から信じることです。その瞬間救われます。

そうすることにより、❝人間の義❞ではなく、❝神の義❞を認めることになるからです。

「義」というカンジは、義人の❝義❞です。❝よし❞という意味です。

「羊」と「我」という漢字から成り立っています。

「羊 (仔羊)」は犠牲となったイエス様のこと、「我」は自我の❝我❞です。

我を下にして、羊であるイエスを上(高い位置)に乗せます。我よりも 羊(イエス)を認めるということです。そうすることによって、人は はじめて「義」と認められます。

神から、❝義❞と認められます。



エスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。ヨハネ14:6

 永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。 わたしは、行うようにとあなたが与えてくださった業を成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました。父よ、今、御前でわたしに栄光を与えてください。世界が造られる前に、わたしがみもとで持っていたあの栄光を。

ヨハネ17:3-5

 

しかし、日月神示が言いたいのは、以下の聖句のようなことを言いたいのかもしれません?

自分の宗教が正しいからと排他的にはなってはならないということ。上から目線であるのはいけないということ。いくら信仰を持っていても、実際には、神様から排除されているかもしれないということ。

 

既にキリストを信じた人は、神様の一方的な憐みの故です。善い人であったとか善行をしたから救われたワケではありません。

神様はすべての人を創られました。全ての人を愛しておられます。

福音はすべての人のために存在します。

 

神は、すべての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。

Ⅰテモテ2:4

 

さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。 この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。 わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。 かし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、 罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に生かし、――あなたがたの救われたのは恵みによるのです。エペソ2:1-5

 

創造主(神)は、三位一体という形で存在されています。

父、御子、霊です。

水が、液体、固体、気体へと形を変化出来るのと同じ原理です。

エスキリストは369の世を統治される創造主です。

創造主であるなら、上から2番目3番目のランクではありません。

 


とても、心に来ることを書いておられるブログを見つけました。

 

 

【追記】

聖書と同じく、日月神示も訳によってさまざまな解釈に変わってしまうようです。ある方の超訳では、原文に❝教会❞とは書かれていないのですが、❝宗教❞と書かれている部分を、すべて❝教会❞と訳していた人がいました。

 

 

日月神示に少々目を通していて気付いたのですが、コチラ書かれたのが、本家(ユダ族の国)が再建された翌年なのです。不思議ですよね、これも意味があるのでは?

 

こちらは原文です。

 

こちらは原文の超訳です。

 

 

今回、コチラの超訳を読んだ時に気付いたことがあります・・・

①❝世を捨て、肉を離れて天国近しとするは邪教であるぞ。❞という原文に対し、

超訳では、❝肉体を捨てて天国に入ると教えるのは邪教だぞ。❞と訳されています。

この部分、原文を誤訳していると感じます。

今の肉体は日々老い衰えます。肉体が大事であることが強調されているのではなく、

❝今の肉体を持って、神の時の到来まで 現世でのお勤め(生活)を一生懸命まっとうしなさい❞という意味だと思います。神の国が到来するのだから、この世で努力はする必要はない、と夢心地なことを考えるのは邪教であるぞ❞という意味だと思います。

 

聖書的から訳のヒントを得るなら こういうことです。


超訳にある❝金で地固めして❞の3番目の❝金で❞の部分は必要ないのではないかと思います。原文には2回しか書かれていません。金で潰した後に、また金で固めるなら、金で潰す意味がありません。

また、100年というのは大きく見積もられた だいたいの数字であり 2044年までというのは、現在の世界情勢を見ても大きく見積もり過ぎているような・・・

グレイトリセットが2030年完了です。その前にイエス様が戻られなければ、世界はとんでもない事態になっています。2044年というのは遅すぎます。

 

世界情勢と照らし合わせて考えるのであれば、大峠を越えるのは2028年(±1)だと私は推測します。

1948+80=2028年

 

シビアに評価してしまいましたが、悪意はありません。

聖書の訳もそうですが、訳は意味を変えてしまうので、霊の導きがなければ誤訳になってしまいます。