神様は封印されておられることが多々ある

コチラの記事を見つけました。

多分、このページは私が言いたいポイントと似ている点があります。

ただ、どの説を読んでも、あまりにも独自で複雑な説を生み出し過ぎです。

 


聖書では666が反キリストが管理するための獣の印であり、

日月神示ではミロクの世(369/666)では、666が良い世界の到来を表わしています。

 

だから、西と東で数字が正反対になっているという考え方をしがちなのですが、

この数字に関して言うなら、この考え方は違うのではないかと思います。

日月神示には反キリストが登場しませんので、獣の数字については話題に出て来ませんが、仮に、日月神示にも反キリストと獣の印のことが書かれているのを仮定します。

西と東で数字が真反対になる設定であれば、日月神示には反キリスト(獣)の数字が

888 (666の反対) と書かれていたハズです。

しかし、神道日月神示においても、聖書と同じく、888は良い数字です。

そうであれば辻褄が合いません。

 

では、聖書と日月神示の数字の矛盾は何なのか?ということです。

私もこの完全な答えを得ていませんが、666という数字にはパラドックスな別の意味があるということが解ってきました。

 

数カ月前から、ゲマトリアの達人は、「多くの人は、666が悪い数字だと思っているがそうではない。」と、あたかも良い数字のようなことを言い始めました。

それで、ある人(キリスト教徒?)から「嘘だ、666は悪魔の数字だ~!」とバッシングを受けてました。

私は、なぜ達人が、666という数字の見解を変え始めたのか理解不能でした。

しかし、神が彼に導いて下さって以来、一般的に悪いと言われる 6、13、18、36という数字は、神の創造や宇宙と大きく関わっていることを何となく理解し始めてはいました。

ということは、一概に、悪い数字とは言えないのです。

 

やはり行きつくことは、数字の意味にはパラドックスが生じ、良い意味も悪い意味をも持っているということです。

彼のサイファーでは、宇宙の法則のようにMarsやMoonも頻繁に登場します。彼は、それらを完全に悪い扱いにしていません。

彼のサイファーの意味が理解できないため説明するには至りませんが、

理解出来なくとも私は彼のサイファーを信じています。

 

最近、質問して理解出来たことはコレです。

❝日本が竜の霊に影響されているということですが、世界の霊的な支配は、

西・東・北・東とセクションに別れているのです? そうであれば、ほとんどのアジアは霊的にC国の影響を受けているということですか?❞と尋ねました。

すると、こういう返事が来ました。

(※クォーターは1/4です。世界は霊的に、大きな分割で捉えるなら1/4ずつに別れているようです。)

 

666に話を戻しますが、

ある日月神示を信じる方が、現世の獣の印666は『偽の666』だと書いていました。

私は、この考えが一番正解に近いのではないかと思います。

次元という例えで話すなら、現世(二次元)の666は、悪の666であり、これから到来する369の世 (?次元)に属する666は全くの別物ということです。

666という数字が持つ別の意味は私には解りません。

しかし、通常、人間を指す「6」には、別の顔があります。

私たちキリスト教徒は「6」の別の側面をなかなか知りえません。

私も「6」と言えば黙示録13章にある「人間を指す数字」であるという悪い印象ばかり持っていました。しかし、この数字にもパラドックスな意味が存在します。

 

 

そうであれば、「6」が持つ良い意味のトリプルが「666」という数字になります。


もともと、神が創造された完全な世界では、アダム・イブによる罪の性質が入ってくるまで、悪というものが存在しませんでした。

それ以前は、悪いものがゼロです。ということは、悪い数字(悪い意味を持つ数字)は存在しなかったということにもなりませんか?

神様は、神が統治される次の素晴らしい世界では、月や星々の栄光も復活されるように、数字の性質をも復活されるのだと思います。

 

神様は、封印されておられることが多々あります。

 

どうして封印されておられるのか?

 

神様の世界はたとえ話(比喩)や暗号だらけです。

本当に真実を求める人にしか、次の扉(ゲート)が開かないようになっています。

教会や牧師を鵜吞みにするのではなく、自分が熱心に真実を求め、直接神様に行くならば、聖書に隠された本当の意味も受けとりやすくなります。

 

信徒の交わりは大事ですが、まず、神様と孤独になることが優先です。

それが出来ないうちは、信徒の交わりを優先してもよいのですが、どこかでキリをつけなければ、いつまで経っても自立した信仰が育ちません。

悩みや問題があれば、神様ではなく目に見える人間を頼りにしてしまう傾向に陥ります。私も、まず神様に行く前に、友人に相談していた時期がありました。つい人の慰めやアドバイスを真っ先に求めてしまっていました。

神様に行くのが一番早い解決方法です。まず、神様の前に問題を持って行き解決を祈ります。牧師や友人に相談したりアドバイスを求めるのは二の次です。これも、自覚と習慣で変えれます。