命の尊さと戦争の愚かさ

瀕死の野良猫の看病や通院に追われ、ブログに来れませんでした。

 

何度、静脈点滴をしても栄養剤を注射しても、シリンジで液体フードと水を与えても、

自分から水を飲むような状況になりません。熱が36度と、猫の平熱より3度も低く、肝臓も腎臓の数値も異常で、鼻は何らかのウイルス(多分、カリシウイルス?)で炎症が起き鼻の中に膿が出来ており、つまっているため酸素が通らず息苦しい。中の方で出血もしているようでした。苦しそうに口呼吸をしていましたが、猫は通常、非常時以外は口呼吸はしないようです。

 

結局、徹夜続きの看病で、わたしも風邪をひいてしまいました。

私なりに手を尽くしましたが、私の風邪まで猫にうつしたくないので、

時々餌をやっていた近所のご老人が預かってくれるということで、彼女に引き渡しました。でも、水も自分から飲まないので、命は持たないかもしれません。

 

猫の点滴や入院費などで治療代が1か月分の家賃以上に… (*_*)💦

近所の人からは、野良猫にそこまでしなくてよいと言われましたが、目の前の命を犠牲に出来ない。死にかけの猫を道に捨てておくということは出来ない。

命かおカネか?と、神様から問われた気がしました。

小さくても命は大事・・・もちろん命です。

猫を必至に看病しながら、神様がどれだけ、1つの命を愛してるのか理解出来ました。

同時に、戦争で毎日犠牲者が出て、ウクライナ人・口シア人の命が既に何万と亡くなっているのを考えると辛いです。1人1人に家族や愛する人がいて、それぞれの人生を生きて来たのに、不意に始まった戦争で命を失ってしまいました。

 

人間どうしが殺し合あってまで、領土を奪い取ろうとするのだから恐ろしい。

 

命か領土か?

...結局、領土を選んだため、戦争に突入してしまった。

 

戦争は、❝憎しみ❞と❝死❞と❝半永久的なトラウマ❞しか生み出さない。

エス様による統治が到来するまで、人間には真の安息はやって来ない。

日本も防衛費を増やすらしいけど、軍事費を増やすということだから、相手国を挑発してしまう。最悪なことに踏み出さなければ良いけど…。

もうすぐイエス様が再臨され各々の罪に対して裁きが下るのに、戦争で殺し合いしてる場合でない。

冗談抜きで、イエス様、もうすぐ戻られます。だからこそ、各自が魂の救いに専念すべき。愛国とか領土とかいう理由で、この世にしがみついて他国の人と殺し合ってる場合ではない。イエス様が戻られた後は、もう二度と悔い改めるチャンスはない。

選別の期限はイエス様の再臨で失効してしまう。選別されるかどうかは各々の決断と実行にかかってます。

 

軍事費を増やすよう戦争を煽る右翼牧師に賛同する信者が日本にも多々いるけど、戦争を甘く見過ぎ。ニュースはウクライナの建物の倒壊や瓦礫しか見せないけど、多くの死体や殺される瞬間を見るべき。

口シア兵も既に55,000人以上亡くなった統計が存在してます。

https://www.facebook.com/GeneralStaff.ua/posts/pfbid0n1Fdiuv8x3fD6pVvPt5xEyWpGiEikGHohV8HRQL8MS9Nm5Fz1xk6vAUoL9fogasal

 

エスの教えは、私たちは ❝この世の寄留者❞。過度な愛国は必ず戦争に踏み出すのです。イエスは、状況や情勢によって、❝この場合戦争しなさい❞とはおっしゃいません。

 

そのとき、弟子たちがイエスのもとにきて言った、「いったい、天国ではだれがいちばん偉いのですか」。 すると、イエスは幼な子を呼び寄せ、彼らのまん中に立たせて言われた、 「よく聞きなさい。心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。 この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。 また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。 しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。 この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである。罪の誘惑は必ず来る。しかし、それをきたらせる人は、わざわいである。 もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。 もしあなたの片目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。両眼がそろったままで地獄の火に投げ入れられるよりは、片目になって命に入る方がよい。 あなたがたは、これらの小さい者のひとりをも軽んじないように、気をつけなさい。あなたがたに言うが、彼らの御使たちは天にあって、天にいますわたしの父のみ顔をいつも仰いでいるのである。〔 人の子は、滅びる者を救うためにきたのである。〕

あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。 もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。 そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。

マタイ 18:1-14

 

とにかく、この国までが戦争に突入しませんように。

 

 

野良猫のシロクロちゃんのために、最後に神さまに祈りました。

❝シロクロちゃんがこれ以上苦しまず、痛みがなく あちらの世界に移れますようお願いします。この世では、飼い主も家もなく、さみしく辛い想いをしたけれど、そのかわり、猫の天国では最高の天国に入れて下さい。お願いします。❞

 

人間と同じく、猫や犬などの天国も7つに別れているという言い伝えを聞いたことがあります。真偽は判りませんが、動物の天国もあるのかも知れません?

聖書には❝7番目の天国❞という言葉は存在しませんが、❝第3の天国❞に行った者についてパウロが言及しています。

>>2Corinthians 12:2 Paul says he knew a man (assumed to be himself—he is speaking in the third person) who went to the “third heaven.”

神様の中で、7という数字は特別な意味を持つので、天国も7段階に別れているのかもしれません?

セブンスヘブン - Wikipedia

7つの天国 - Wikipedia

 

>>In religious or mythological cosmology, the seven heavens refer to seven levels or divisions of the Heavens (Heaven). The concept, also found in the ancient Mesopotamian religions, can be found in Judaism, Christianity, and Islam; a similar concept is also found in some other religions such as Hinduism. Some of these traditions, including Jainism, also have a concept of seven earths or seven underworlds both with the metaphysical realms of deities and with observed celestial bodies such as the classical planets and fixed stars.

To each of the seven heavens corresponds one of the seven classical planets known in antiquity. Ancient observers noticed that these heavenly objects (the Moon, Mercury, Venus, the Sun, Mars, Jupiter, and Saturn) moved at different paces in the sky both from each other and from the fixed stars beyond them. Unlike comets, which appeared in the sky with no warning, they did move in regular patterns that could be predicted.[2] They also observed that objects in the sky influenced objects on earth as when movements of the sun affect the behavior of plants or movements of the moon affect ocean tides. Others believe the seven heavens are related to the seven stars of Orion, the Big Dipper, Little Dipper and the Pleaides/Seven Sisters according to ancient western astrology.

訳)古代メソポタミアの宗教、ユダヤ教キリスト教イスラム教には、七つの天(Seven Heaven)という天国が7つの段階に別れている概念が存在します。同様に、ヒンズー教など他のいくつかの宗教にも同じことが見られます。ジャイナ教においても、神々の形而上学的な領域と、古典的な惑星や恒星などの観測天体の両方で、7つの大地または7つの冥界の概念を持っています。

それぞれの7つの天は、古代に知られていた7つの古典的な惑星のうちの1つが対応しています。古代、天体の観測者たちは、これらの天体(月、水星、金星、太陽、火星、木星土星)が、互いに、またその向こうの恒星とは異なる速度で天空を移動していることに気づいていました。また、太陽の動きが植物の動きに、月の動きが海の潮流に影響を与えるように、天体の動きが地上のものに影響を与えることも発見されています。

また、7つの天は、オリオン座、北斗七星、小斗七星、プレアデス/七星座の7つの星と関係があるという説も存在します。

 

>>In the Bible, the Apocalypse speaks of nature being finally redeemed: “Then I heard every creature in heaven and on earth and under the earth and on the sea, and all that is in them, saying: ‘To him who sits on the throne and to the Lamb be praise and honor and glory and power, for ever and ever!’” Every creature on earth. It also mentions fruit trees. Why would there be plants, yet no animals?

Isaiah too sees animals in heaven: “Then the wolf shall be a guest of the lamb, and the leopard shall lie down with the kid; The calf and the young lion shall browse together, with a little child to guide them.” “The wolf and the lamb will feed together, and the lion will eat straw like the ox, but dust will be the serpent’s food. They will neither harm nor destroy on all my holy mountain, says the Lord.”

You might object that this is merely metaphor; perhaps. You might object that it describes the end of time, after the general judgement. Animals may rise with a new heaven and a new earth, but not before.

Yet in eternity, is there really still a chasm between present and future? Or are all times present? Even if animal souls sleep for a few millennia, as do our physical bodies, does this make much difference in relation to eternity?

There were also animals in Eden. God apparently made them to enjoy paradise. They lost this due to man’s sin.

It follows that, if man is now redeemed, they are too.

Another common argument is that, if a man who has loved an animal goes to heaven, he would be happier if that animal were there. The happiness of the man would require that animal to be in heaven.

There is another intriguing bit of evidence: in “near-death experiences,” people are usually greeted by departed relatives. But some see departed pets.

 

訳)聖書では、自然が最終的に贖われることが黙示録で語られています。"そのとき私は、天と地と地の下と海とにあるすべての生き物が、「御座にいます方と小羊とに、賛美と誉れと栄光と力とが、とこしえにありますように」と言うのを聞いた。 地上のすべての生き物。果樹についても語られている。植物について言及されているのに、動物が含まれていないワケはありません。

預言者イザヤも幻により天国に動物がいるのを見ました。

狼は小羊と共に宿り 豹は子山羊と共に伏す。
子牛は若獅子と共に育ち 小さい子供がそれらを導く。
牛も熊も共に草をはみ その子らは共に伏し 獅子も牛もひとしく干し草を食らう。
乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ 幼子は蝮の巣に手を入れる。
わたしの聖なる山においては 何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。
水が海を覆っているように 大地は主を知る知識で満たされる。
その日が来ればエッサイの根は すべての民の旗印として立てられ 国々はそれを求めて集う。そのとどまるところは栄光に輝く。イザヤ11:6-10

これを単なる比喩だと反論されるかもしれません。これは、裁きの後の、時の終わりの一時的な描写に過ぎないことだと反論されるかもしれません。動物は新しい天と新しい地が出来る時に、ともによみがえるかもしれませんが、それ以前にはよみがえりません。

永遠において、現在と未来の間に、本当に隔たりがあるのでしょうか。それとも、すべての時間が現在なのでしょうか。動物の魂が、私たちの肉体と同じように数千年眠ったとしても、永遠との関係では大きな違いがあるのでしょうか。

エデンには動物もいました。神は彼らを楽園で楽しむために造られたようです。しかし、人間が罪を犯したために、彼らも その楽園を失ってしまいました。

人間が贖われたのであれば、動物も贖われたことになります。

もう一つのよくある主張は、動物を愛した人が天国に行くなら、その動物がいればもっと幸せになれるというものです。その人が幸せになるためには、その動物が天国にいることが必要なのです。

多くの者が、亡き親族が出迎えてくれる臨終体験を語ります。

亡きペットと再会出来る体験をしている人たちが多くいます。