もともと龍の意味は忌諱。途中で良い意味にすり替わってしまったようです😓

なぜ、龍信仰が始まったのかを調べてみました。

調べてみると、ファーザー・コンプレックスからの強い者への憧れ・権威が関わっているようです。

しかし、もともとは、龍は「不吉な前兆」として考えられていたのが、それが覆い隠されてしまった。怖いから拝む・憧れる、という二重性の感情。陰と陽の思想が強い文化です。だから、中国は数字の『8』だけでなく『6』も良い数字と考えられています。

よって、中国では、888も666もラッキーナンバーなんです。

おもしろいことに、ユダヤの文化でも8と6はラッキーナンバーなんです。

数週間前、たまたま見た動画で、有名なラビが、話の流れから、

「実は、仏教のルーツはユダヤ教なんですよ」と、質問にこたえてました。

アブラハムの死後、サラの家族が東洋に渡った❞と解説されてました。

アブラハムということは創世記の時代のどこかなのでしょうか?

どのビデオのどの辺りの質問だったのか判らなくなってしまいましたので、探しておきます。

私も、これには同感できます。アミダとかってヘブル語ルーツですよ。他にも、神道・仏教の終末のゲマトリアの数字の意味が聖書の数字と同じとかって、ありえないことです。

残念なことに、仏教・神道と、キリスト教の類似性を頭から否定するキリスト教徒が日本にも多々います。ヘレニズム的なキリスト教の感性にしか触れて来なければ、東洋思想を否定してしまう傾向になります。私も以前はそうでしたが、キリスト教が東洋発祥だと理解出来た後、教会の牧師たちの固定観念な教えに同調せず調べて行きました。

今、確実に言えることは、久保有政牧師の「仏教とキリスト教」の研究内容こそ当たっています。

 

 

詳細な説明は省きますが、ミロク(369)がイエス様の来たる世を指しているということになります。

6というのは善い意味も持っていると、以前説明しましたよね。

だから、666という数字もコントラディクト(矛盾した)善い意味と悪い意味があるのです。ゲマトリアでは、イエスも666という数字を持っています。

 

反キリストが持っている666は人間・罪・獣を表わす意味。

エスが持っている666はsacred(神聖) な意味。

音のゲマトリア369(666)がイエスに繋がるのです。これは神様が、日本語だけに隠された陰陽の秘密の暗号です。

この動画は削除されるかもしれません。以前、ブログに貼り付けて2回削除されました。イエス様が369の世の神であることを日本人に知らせたくない勢力がいるのでしょう。仏陀でさえイエスキリストを指し示しているのに・・・仏陀はイエスの味方です、イエスに敵対しているように思わされていますが違います。


 

多分、いきなりこんなことを聞いても、キリスト教徒はこれを信じたくないと思います。私も初めはそうでした。

しかし、ゲマトリアが陰陽であり、神様が、光と闇の両方を支配されている最高のお方だという理解が進むにつれ、このことが理解できてきました。

また、トランプは138という数字を持っていますが、これも忌諱な悪い意味もありますが、INRI もこの数字を持っています。

だから、神が支配なさる世界を理解するために必要なのは陰陽なのです。

龍が日本を支配している、しかし、日本は神に選ばれている国でもあります。

聖書の十氏族が渡って来て、築いた国の1つです。

神の国なのに、龍がいるのも、陰陽なのです。

神道も仏教も聖書の教えが詰まっています。同じ神から出た教えです。

しかし、時間と共に、人間が単独の宗教・東洋オリジナルの宗教として別けてしまったのです。そして、伝統や習慣まで関与して、着色が付け加えられていきました。そして、様々な教師が現われ、様々な宗派にまで別れてしまったのです。

しかし、ルーツは同じ神の教えです。

キリスト教も大いに着色されました。イエス様がいたとされるエッセネ派は、輪廻も信じカバラも実践していました。しかし、カトリックは輪廻思想を削ってしまいました。また、多くのキリスト教徒はカバラを勘違いしており、まがい物のように捉えています。

 

また、別のラビですが、「他の宗教から、ヤーウェに出会う人もいる。出会えたらラッキーな人だ」と笑顔で説明されていた動画も見たことあります。彼は仏教もキリスト教も色々と勉強されてた様子です。

神様が偏在で普遍な方なので、他の宗教(特に5大宗教)にも御自身の足跡をつけておられることを私は信じています。

神を求めてる人には、何らかのキッカケでイエス様に繋がるチャンスがあるということです。今は、仏教徒神道の方でも、イエス様と出会えることを心から願います。

また、キリスト教徒であっても、心からイエス様に繋がることなく、小さな奇跡体験をした自覚のない者もいます。教会には通っていながら、聖書の預言をおとぎ話のようにスルーする人もいます。医療・薬・ワクチンやデジタル社会・国・ニュースを心から信頼する信者もいます。聖書には陰謀や人間の悪の話が説明されているのに、でも、社会は真実や善い事しかプロモートしないと信じています。聖書を実生活に当てはめれないナイーブな点だと思います。

聖書には、❝反キリストが偽善を持って世界を騙す❞ということも書かれています。しかし、日本のキリスト教徒は預言の箇所も知らないため、油断している人が多々いるのを感じます。実際、日本にも、反キリストを応援している牧師・信者もいます(-_-;)

礼拝を守っているから真の信仰者だとは限りません。祈りが多ければ多いほど真の信仰者だとも限りません。心の内を刺し通し神が判断されます。

今日は万端でも、明日は信仰につまづいているかもしれません。明日の事さえ判りません。自分の信仰に安堵しないのが一番です。

❝後の者が先になる❞というのは、真実です。

神様は、今後、仏教徒神道徒・無神論者も含め、御自身の栄光の為に用いられます。

だから、イエスキリストと言う名前に蓋をせずにいて下さい。こころのどこかに、憶えていて下さい。そして、大ピンチがやって来て助けが必要になったら イエスの名を心から呼んで下さい。その時、ノアの箱舟の扉がまだ開いてる状態なら 間に合います。

 

神様が日本をどう考えておられるか、まだ、書いてませんが、これも追って書きます。

 

長文を翻訳機で訳して貼り付けました

ソースは英文です。