聖書メッセージ

日本では、スピリチャルに興味を持ち始めたこと、コロナ騒動がきっかけとなりイエス様に辿りつく人たちがいることをよく耳にします。

様々な惑わしがある中で、イエス様に辿りつけた方は とても幸運です。

もちろん単なる「運」ではなく、御自身がイエス様を引き寄せ、神さま(イエス様)が引き寄せられたからです。

 

神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。ヤコブ4:8

 

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神様と出会えないケースを迷路に例えてみます。

 

ハチミツを求めていたのに、マスタードに向かって突き進んでしまうケース。

探求せず、想い込んだ道をひたすら突き進んでしまう。

 

途中、マナ(糧・助け・祝福・導き)は与えられたけれど、限られた時間内にゴールに辿りつけないケース。神様を認識できるようなキッカケを体験をしても、真剣に神様を求めるに至らず人生を終えてしまう。

エスエルサレムへ上る途中、サマリアガリラヤの間を通られた。ある村に入ると、重い皮膚病を患っている十人の人が出迎え、遠くの方に立ち止まったまま、声を張り上げて、「イエスさま、先生、どうか、わたしたちを憐れんでください」と言った。エスは重い皮膚病を患っている人たちを見て、「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言われた。彼らは、そこへ行く途中で清くされた。 の中の一人は、自分がいやされたのを知って、大声で神を賛美しながら戻って来た。 して、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。この人はサマリア人だった。 そこで、イエスは言われた。「清くされたのは十人ではなかったか。ほかの九人はどこにいるのか。この外国人のほかに、神を賛美するために戻って来た者はいないのか。それから、イエスはその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」ルカ17:11-19

 

進化論、科学、人間中心主義の価値観に流されたまま、神の存在を頭から否定して突き進むケース。ゴールが存在しないため最後まで迷い続ける。

世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。 なぜなら、神を知りながら、神としてあがめることも感謝することもせず、かえって、むなしい思いにふけり、心が鈍く暗くなったからです。 自分では知恵があると吹聴しながら愚かになり、 滅びることのない神の栄光を、滅び去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです。

そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互いにその体を辱めました。 神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。 ローマ1:20-25

 

 

ゲマトリアをやっている人たちから、「game of life」 という言葉をよく耳にします。

日本語で言えば、「人生ゲーム」という意味です。

 

❝人生ゲーム❞について、このような説明がありました。

 

 

やっぱり。私と同じような疑問を抱く人がいるようです・・・

 

 

 

 

❝人生はゲーム❞・・・

私はこれを このように考えました。

 

人生には様々な種類のゲームがあり、どのゲームをPLAYしようが、

次の瞬間、どう転び何が起きるのかは判らない。

サイコロをふるようなもの。

無事、ゴールに辿りつけるのか敗退するのか結果は予測不可能。

楽勝だ!圧勝だ!と思っていても敗退することもある。

また、まさかの逆転勝利することもある。

 

このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。マタイ20:16 

 

「きょうか、あす、これこれの町へ行き、そこに一か年滞在し、商売をして一もうけしよう」と言う者たちよ。あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。ヤコブ4:14-15

 

人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は、とこしえに残る。1ペテロ1:24

 

そして、ゲームにはルール(規則)がつきものです。

同じように、私たちの人生ゲームでは、神様 がルール (道・方法)です。

 

試合も英語ではゲームと呼ばれますが、試合にはコーチやレフリーがいます。

神様はコーチ(指導者・監督)であり、また、レフリー(=決定者・審判者)でもあります。

 

人生ゲームは、個々が好きなように自由にPLAYしているようで、

私たちの人生ゲームの何割かをPLAYしているのは神様なのでしょうか?

人生の何%を自分がPLAYして、何%を神様がPLAYしておられるのでしょうか? 

50/50でしょうか? 20/80でしょうか? 98/2でしょうか?

 

これは、誰にも判りません。

 

只々、実際に、

私たちの人生は、先が見通せない人生ゲームのようなものです。

 

自分の人生、最後まで判りません。明日のことでさえ判りません。

誰一人として、神様の複雑で巧みな想いと計画を見通すことが出来ないようになっています。人間が理解できてしまうレベルの神であれば、神ではないのです。

明日のことさえ、次のことさえ判らないので、神様の前に謙虚になり、一歩一歩、神様を仰ぐ生き方が最善なのです。

 

ただ、判ることは、神様はあらかじめ、救われる人を選んでおられるということです。そう聖書に書いてあります。

わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キリストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。エペソ1:11

 

そうかと言って、矛盾しているようなことも聖書に書いてあります。

誰かが神様のことを伝えて、初めて神様を信じる人が出てくるということです。

知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。1コリント1:20-21

 

あらかじめ、誰が選ばれているのが定められているのなら、わざわざ誰かが神様のことを伝える必要はないのでは?と思いませんか?

しかし、神様はアルファ(初め)でありオメガ(最後)であるお方で、初めから終わりまでご存知であるということを想い出してみて下さい。

ということは、もちろん、途中経過(プロセス)も御存知であるお方です。

 

私たちの側が、神様を、完全に締め出す生き方も、困った時だけ関わる生き方も、常に迎え入れる生き方など、選べます。

 

既にイエス様を信じている人は、救いから漏れないよう自分の魂を見張り続けることが必要です。というのは、救いから離れてしまう可能性もないとは言えないのです。

信じてみたいが未だ確信がないという方は、恐れずイエス様の懐に飛び込んでみることです。信仰とは、先が見えなくとも、決断することから始まります。

 
私たちの人生は、先が見通せない人生ゲームのようなものゆえ、だからこそ、全能者の前に傲慢になって歩んではいけないということです。
 
だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。ルカ 12:5 
 

The Game of Life | My God In Motion...

訳)



いつものにように調べてみました・・・・

 

 

死んだ子供たち

人生ゲームで敗退する者が多いという象徴です・・・😿

 

高きところにおられる神

なんと、神様が人生ゲームに関係している!!

ギョー、やはり人生は❝人生ゲーム❞でした!(゚д゚)!

 

 

こうなれば、神様とつながるしきゃない!!!

 

もたれてよし❕🙆💚抱きついてよし❕🙆 💘ベタベタよし❕🙆💛