数年前、ブログを始めてスグの時、
神様から、❝嫌われる覚悟はできてますか?❞と3回問われました。
その時は、何のことか判りませんでしたが、
❝は、はい、神様。できています。❞と答えました。
(以前のブログに、この事について書きました。)
今思うと、こういう嫌がらせがあることも、神様は御存知だったため、あらかじめ質問されたのだと思います。
映画Don’t BreathのPart1/Part2を録画していたのを実家で見ました。
サイコスリラーです。
主人公は強靭な盲目の老人。
Part1では、自宅に強盗で入った若者たちを容赦なく殺害します。
Part2では、拉致してまで育てた少女を強盗団から命がけで奪い返します。
Part1では、老人が残忍すぎるため、強盗に入った若者たちのほうが善人に見えるのです。
しかし・・・
Part2では、この老人が命を賭けて育てた少女を助け出します。
Part1の彼がどうであれ、彼の過去がどうであれ、自然に老人を応援してしまいます。
Part1で、老人は、神に救いを求める強盗団の若者に「(救いを求めても)神なんて 存在しないぞ!」と言い捨てます。
しかし、Part2の前半シーンでは、「神は公平だ」と言うシーンがあります。これには驚きました。
そして、最後のシーンでは、心から罪の告白をします。
この映画を見た前日、使徒パウロがキリスト教徒を迫害していた箇所を読みました。
なんと、映画の老人がパウロと重なりました(パウロに失礼ですが😅)
パウロは、キリスト教徒を容赦なく取り締まり牢にぶち込み迫害していました。
しかし、イエス・キリストから直接語りかけられ、イエスを信じる者へと変わります。
キリスト教徒となった後、ヘレニズム世界の異邦人伝道に旅立ちます(ガラテヤ1章)。
パウロは訪れた先々で、信じる者の群れ(共同体)を作りました。
それゆえパウロは「教会の父」という呼称もつけられています。
最後は、ローマ帝国ネロの迫害のもと、殉教します。
映画の老人も、Part 2 では、自分の罪を正直に告白し悔い改めます。
「こっちに来るな。あの男が言ったことは本当だ。私は、おまえの産みの親ではない。人を殺した。レイプもした。
私なんて全く価値のない存在だ。モンスターだ。私のまわりにいてはいけない。行きなさい!」
少女に向かって、自分の悪を告白するシーンなのですが、最後に「Oh God・・・」と神の名を呼びます。
(神へ呼びかける箇所の日本語字幕は省かれています。)
少女は彼の残忍さを知った後、それでも、❝自分を育ててくれた人❞として老人を赦します。
老人は赦されたのを知りホッとします。そして、次の瞬間、息を引き取ります。
【閲覧注意】
極端な比較になりますが、
老人が自分の命を惜しまず少女を取り返しに行く熱意は、パウロが自分の命を惜しまずに伝道に出て行った使命感と
同じものを感じました。
Part1で老人がどんな人物だったのか、あえて解説しない(彼の過去に拘わらない) おすぎのシンプルな説明はナイスだと思いました。
Part2は1作目よりも素晴らしい続編なので、単体で見ても良いと思います。
Part 1はかなりサイコパス的なのでオススメしません。
他にも、この映画を見て思ったことは・・・
ブログを妨害しているのが悪霊の仕業ではなく、もし、人的なものであるのなら、
その方もイエス様に出会って欲しいです。
神様に出会うと、人生、どんでん返しが起こります。
パウロも迫害者という立場から、イエス様を信じる者となり180度価値観が変えられました。
まだ、時間的には間に合います、救いに預かれます。
1人でも多くの人が、イエス様に出会って欲しい。
イエス・キリストはキリスト教徒だけの神ではなく、宗教を超越しています。
なぜなら、彼こそが万物の創造主だからです。
私がブログを書く目的は、戻って来るのをわかっている故、「獣の印の到来がそこまで来てますよ!死んでも受けないで!」という警告です。政治的な目的でも、トランプが好きとか嫌いとか個人の嗜好でアンチしているのではありません。
もうすぐ 大変な時代に差し掛かろうとしている危機を警告をしているだけです。
そのために、騙されないための心の準備を促すがの私の役目です。
日本のクリスチャンは反キリストの正体を知っていたとしても99%の人は大々的に広めません。
自分の身を護るための安全策しか取らない。その前に、終末が来ていることも話題にしません。もちろん、気付かずに教会プログラムや教会運営、個人的な悩みにしか注意を向けていない信者たちもいます。高齢者会員の身体の痛みや訪問ばかりがミニストリーの中心になっている教会もあります。
霊的に眠っています。反キリストが現われる前に携挙が起きるから大丈夫だからと、油断させる教えを説いている人もいます。
時間が残されてないからこそ、とてもじれったい。
私は神道や仏教徒や無神論者から、神のみ旨に適う勇者が出ることを心から望みます。
辛口の内容の時もありましたが、私はクリスチャンのためではなく特に日本人のためにこのブログを書いてきました。
多くの眠っている日本のクリスチャンのようになって欲しくないので、キリスト教徒を指摘してきました。
❝獣の印❞のシステムの導入が開始され、それを受けたならば、永遠の滅びの運命から後戻りできません。
反キリストを応援する者、崇める者も同じく、永遠の滅びの運命を選択したことになります。怖さで妥協して従ってしまった者も同じく永遠の滅びの運命です。
タイムラインを明確に伝えているメッセージをみかけないので、本日、それに触れます。
タイムリミットがあることを現実的に意識しているキリスト教徒はほとんどいません。
それ以前に、多くの日本の指導者は、終末預言・黙示録、反キリスト、最終戦争・裁きの話を避けて通っています。
多少の想像力があるなら、救いのタイムリミット(締切り)は段階的に存在するのが読み取れます。
大艱難時代の最後に起きる再臨の時までにイエス様を信じればギリギリセーフで間に合うのではありません。
イエス様を受け入れるのにも期限が設定されています。
ある時点に来ると、救われる者の数が打ち切られます。
タイムリミット1:
イエスを信じていようが信じてまいが、獣を崇める者・獣の印を受けてしまう場合、永遠の命の救いの約束から完全に漏れてしまいます。(反キリストが登場し❝獣の印❞が導入され始めますが、❝獣の印❞を疑いもなく受ける者は、半年~1年以内には、あっさり受けてしまう可能性があります)。
タイムリミット2:
たとえ獣の印は受けなくとも、イエス様を信じずに大艱難時代を生き抜こうとする人たちがいます。
彼らは、いつまでにイエス様を信じれば、永遠の命の救いに預かれるのでしょうか?間に合うのでしょうか?
永遠の命の救いの締切りは、❝異邦人の救い❞の扉が開けられている期間のみです。
大艱難時代が始まると、❝二人の証人(預言者エリヤが2人のうちの1人の可能性が大)❞が現われ、ユダヤ人たちに伝道します。
この事が起きたなら、❝選ばれた一部のユダヤ人+選ばれた一部の10氏族末裔❞ (計144,000人のレムナントたち)に、救いの計画が移行していきます。この数字は比喩的だと言われていますので、実際に何人であるのかは判りません。
ただ、旧約聖書では民のうちの神に忠実であった7,000人だけが救いに選ばれました
(1列王記 19:18)。
最後の異邦人の救いが達成した時、レムナントたちの救いへと計画が移行します。
誰が最後に救われる異邦人(The Last Gentile)なのかは、神様が御存知です。
最後の異邦人が救われた時、ノアの箱舟の扉が閉ざされるのと同じく、その後の異邦人は1人として救いに預かれなくなります。
これをタイムラインで分析するなら、大艱難時代の開始からおよそ1.5~2年前後で異邦人への救いの扉が閉まることが予測できます。正確にはいつまでなのかは判りませんが、❝二人の証人❞が現われ、世界を驚かす不思議なことが起こります。彼らが現われると物事がトントン拍子に進み 終末預言が次々に成就されて行きます。
❝異邦人の救いが打ち切られる❞とは、ある出来事が起こるからでしょうか?
ある出来事というのは、もしかすると、異邦人が先に携挙される?のでしょうか。
神様が「28」だけではなく、「27」という2つの数字を見せて下さったのは、何らかの意味があるのかも知れません??
若しくは、、、
最後の異邦人が救われてもスグには携挙されず、レムナントたちが救われる間、応援しているのかも知れません?
二人の証人が現われた後、最高のリバイバルが起こります! 二人の証人が神の力により反撃を始めます。
この場合、144,000のレムナントたちがすべて救われた時点で一括携挙が起きるのかも知れません?
どちらが神の計画であるのか私は断定して言えません。
しかし、どちらにしても異邦人の救いのタイムリミットは早めに打ち切られるというのが事実です。
レムナントたちより、1年前なのか、1. 5年前なのか判りませんが、異邦人の救いの扉は早く閉ざされます。
早めに閉ざされるといっても、イエス様が来られてからこのかた、異邦人への救いの門戸は2,000年間ずっと開かれていました。残念ながら、多くの人々は、聖書を神の言としてではなく、文学書・宗教書・名言集・神話のように扱ってきました。
わたしたちは、異邦人の救いの最後の時代の、最終の地点にいます。
世界的な疫病が起き、経済が混乱し、食の値段が高騰し、戦争が起き(他の戦争の噂も耳にし)、異常気象のため災害が増えています。自然界の動物の数も減っています。大規模な山火事で様々な地域の森や樹林が燃え続けています。多くの人が家族を失い、職を失っています。自殺、事故、盗難も増えています。人々の愛も冷めています。
また、日々の食べ物を手に入れることも難しい国々、経済破綻している国もあります。
2,000年前に書かれた聖書の預言が警告していることが、すべて現実化しています。
まさか、反キリストが現われる、世界が終わるなど、お伽噺のように思えるかもしれません。
しかし、この機に、真剣に祈ったこともない方も、天地万物の創造主に直接祈って尋ねてみて下さい。
先入観や偏見を脇に寄せ、2~3数週間、毎日、短くてもよいので祈り続けてみて下さい。
漠然とした神様の存在に対してで構わないので、体当たりで問いかけてみて下さい。
聖書の預言が本当なのか、答えを神様に直接問うてみて下さい。
なぜなら、神は、私だけの神やキリスト教徒だけの神ではなく、あなた自身のあなたを創られた神です。
神は、あなたの細胞の数もDNAもすべて設計され、あなたの命をこの世に誕生させられた方です。
疑わずに熱心に問いかけ続けるのであれば、自分にわかる方法で答えて下さいます。
そして、1人でも多くの人が、異邦人の救いの扉が閉まる前に、永遠の救いの祝福に預かれますように。
期限が迫っていることを知って下さい。
残された年数は少ないです。
この映画、数字「88」と関わりがあります。
偶然ではなく、反キリストと終末の霊的メッセージがたくさん含まれています。