【聖霊の賜物】霊を見別ける識別力

まず、私が神様から一時的に預かっている(借りている)賜物は、霊の識別能力です。英語では、spiritual discerning / discernment と呼びます。

 

対象のものが、悪魔・邪悪な霊から来ているのか、人間的な想いから来ているのか、神から来ているのかを見別ける能力です。

 

そのため、邪悪な霊、怪しい霊、間違った教えに 敏感に感じます。

また、教会の中で聖霊が働いているのか、宗教の霊が働いているのかも、敏感に感じ取ります。クリスチャンであったとしても、人間的な想いから語っている者もいます。

 

 

もちろん、識別力は、私の霊的コンディションの状態によってに左右されることもあります。

内住する聖霊が強い時は、迅速に察知したり敏感に感じたりしますが、聖霊の声を無視する時は私自身も一旦騙されるということが起きます。

私自身も、スティーブさん夫婦が善意で情報を配信しているのだと鵜吞みにし、懐疑的に感じながらも何年か動画を継続して観ていました。

また、最初は、反ワクのキャリー・マッジェ医師が善意で発信しているのだと思い、

彼女のコロナ捏造情報にも騙されました。

直感よりも感情・印象を優先させたり、まず神に祈って尋ねない場合、この賜物を用いることなく流されたままでいます。

騙されないためにも、まず、神様にその答えが正しいのかをコンファームする必要があります。神様からどんな答えが来るかは予測不能なので、柔軟に受け止めれるよう、常に心の体制を整えておかなければなりません。幅の狭い頑固な霊を持つ人は、この賜物は与えられません。

 

discerning の賜物は情報を精査する必要があるため、ありとあらゆる情報が入って来ると雑念が起きて鈍ります。そのため、私は、聖霊が導かれた情報を自分からゲットしに行く方法に重きを置いています。あえて、頻繁に新聞・テレビ・ネットニュースも極力見ません。もちろん、状況的に見せられることはあります。導かれた情報を自分でゲットしに行く方法で判断しています。自分の中で、神様と一緒に考えていることがほとんどのため、登録しているSNS配信のほとんどを観れていません。得ている情報量は少ないのですが、示されたことは 良しと思うまで徹底して調べます。

最近、気付いたのですが、この賜物はとてもピンポイントで示されます。だから、discerning がクリアになればクリアになるほど、断言した言葉でブログを書いています。❝わかりません❞と書いている場合、未だ、示されていない状態です。

答えが直ぐには与えられなくとも、答えを求め続けるなら時系列でクリアになって行きます。刑事小説・推理小説の展開とよく似ています。問題と格闘しながら、また、忍耐も要りますが、神様が答えを提示して下さるので、とても楽しい。

 

識別能力は、相手の霊的状態も敏感に感じたりもします。

以前のブログも今回のブログもフォロワーの方を突然外していますが、その方が嫌になった・悪気があったという理由ではありません。

外した後、なにかと気付いて下さることを期待しました。

私が外した方々に対して、神様が揺さぶりと Attention(注意)を促しておられたことも理由です。中途半端ではなく、真剣に神を求めるよう喝を入れようとする愛の鞭です。

こういう想いも聖霊の識別能力から来ます。

また、頻繁にブログを更新される方の情報が入り過ぎると、私の中で集中力が途切れてしまったり、本人の一喜一憂に影響されたりもします。

まだ、この賜物について自分自身、理解してない部分はありますが、もしかすると、この賜物は、他人の想いや霊的状態に敏感に反応してしまいやすいのでは?とも感じます。

もし、私がフォロバを外したからといって、「キリストはもうどうでも良い」「キリストとは相性が合わない」と嫌悪感を抱いたなら、あなたの神に対する信仰はその程度です。人に左右されるのではなく、キリストにしっかり根付いているかが大事です。こういうことを通してもテストされます。

神様は、幼い信仰者であっても初心者であっても、はじめの段階から、その人を試されます。果たして、着いて来ようとするのか 小さな試しを与えられます。

 

神様と出会うのは、自分と神様だけの一対一の関係です。

キリスト教の説教を聴いた、動画を観た、ブログを読んだというだけで、自分の信仰に安堵していてはダメです。

これは、毎週ノルマのように教会に通っているだけで安堵している信者と同じです。

教会任せ、牧師任せ、他人任せでは、神との関係は成長しません。

自分の信仰は自分で育てるものです。もちろん、必ず神様が助けて下さいます。

聖書を学ぶツールは溢れています。高額な聖書コンコルダンスは必要ありません。オンラインで調べればたいていのことが調べれます。

漢字や歴史や語学を学ぶのと同じく、自分の好きなように独自の方法で楽しく聖書を学べば良いのです。

 

自分の足で立つ訓練は、すぐに始まります💪(^^)/🎵


 

 

今回は識別能力に特化してですが、以下の記事を訳しました。

訳)

いくら、信仰が長くとも、聖書を何度読んでようが、賜物が与えられていようが、神の前には皆が平等です。

「後の者が先の者を追い越す」とも聖書にあります。

その人の意思と情熱次第で、自分の一部のように神と親密になれます。

現在、クリスチャンでなくとも、自分の能力が識別力ではないか?と心当たりがある方、あなたにも神様が招待されています。

艱難時代という騙しやフェイクニュース工作員・偽予言者・偽教師が横行する時代に、この賜物がとても大事になってきます。

 

他にも様々な賜物がありますが、イエス様を信じることによって、自身の賜物が更に磨かれるよう訓練されます。

神様から霊的な賜物を与えられ、それを生かす事、これほど充実を感じることはありません。

自分の賜物が何であるのか判らない人が多々います。

その方は、神様に祈って尋ねてみて下さい。小さい事に忠実であるなら、神様がよしと

なさる時、必ず示して下さいます。

 

私がdiscerningの賜物を与えられているうように、神さまのために仕えたいと思うなら、あなたにも、自身に適した賜物を与えられます。

三位一体である神様・イエス聖霊が相談して、あなたの性格や特徴や特技を考慮し、あなたに一番あった聖霊の賜物を決定され、用意されています。

しかし、信じたからといって、気軽に誰もが与えられるのではなく、神様に仕えたい、神様側で一緒に闘いたいという願いを強く持っているというのが条件です。

聖霊の賜物はオモチャではないので、与えられるには、それなりの情熱と決断が必要です。また、与えられてもキープするだけで使おうとしないなら取り上げられます。

また、人の関心を買おうとするなら、なかなか与えられません。

他人の目を気にし過ぎるなら、少しでも気にしないよう変えるように心がけて下さい。気にすべきは神の目であって、人にではなく 神にどう思われるかです。

聖霊の賜物を与えられるかどうかは、あなたに用意が出来ているかどうかを、神様が判断されるのだと感じます。

 

反キリスト勢力に睨まれたくないので、なるべく当たり障りのないよう、どちらにもつかず目立つことはなく・・・という想いを張り巡らしている場合、賜物は与えられません。

獣の印を受けるのか 受けないのか、獣を拝むのか 拝まないのかに別れます。今までのように、どちらにもつかずという曖昧なポジションが取れないシステムに移行します。

今までのように、SNSで誰かに代弁発言してもらっていれば安堵を感じる錯覚の時代も終わります。周りの空気を読んでから、どうするかを決めるという時代も終わります。

 

自身の可能性を信じて下さい。

1日も早く、霊的にも独り立ち出来ますよう!!

 

勇気と意思と根性 が大事

 

あなたの命は 神の御手の中にあります。

主導権は神です。悪魔勢力が強いように見えても、悪魔は主導権を持っていません。

悪魔を怖がったり、悪魔に遠慮したり、また、人間の目を気にし過ぎたりする点で、

神が天と地に置いて一切の主権を持った方であるという理解に未だ達していません。

神様のスタンダードに相応しい者となるには、強く雄々しくある必要があります。これは、弱肉強食、勝ち組負け組などのモノサシで測られる世の中のスタンダードの強さではありません。