御存知の通り、現在、スーダンで色々と大変なことが起きています。
(ちなみに、英語の発音ではスダーン。)
そして、この辺りは、クシュとして聖書の終末預言に登場します。キタ――(゚Д゚;)!!
イザヤ書18章にクシュという地名が書かれており、クシュが裁かれることが書かれています。
本来、クシュとは❝エジプトの南の地”という意味です。
クシュは現在のエチオピア、若しくは、スーダンという説があります。
地図を見ても、クシュが、どちらであるのかは微妙ではあります・・・
クシュ人というのはヌビア人のことであって、エチオピア人を直接指しているワケではありません。また、クシュはアフリカを指すという説も存在します。
誤訳のまま、多くのキリスト教徒の中で、クシュをエチオピアとした説が広まってしまったのではないかと思われます?
エチオピアはキリスト教国です。その国が、ゴグマゴグ側につくとは考えられないのですが・・・🤔?もちろん、これは私の個人の見解ですので、その時になってみないと判りませんが。
ヘブル語でクシュを表わす国境が現代のどの国だと言うのに当てはめるのが難しいようです。この件に興味があれば、英語の文献を見つけたので読んでみて下さい。
https://biblicalstudies.org.uk/pdf/ajet/18-2_143.pdf
現代地図
古代地図:クシュ
スーダンと言えば、ウガンダ、コンゴ、中央アフリカ、スーダンで起きていたことの
ヤラセ映画を思い出します。
だから、このあたりの国々については、実際、何が起きているかが見えてこない部分もあります。同時に、世界は弱肉強食のシステムで動いているのが一目瞭然です。アフリカ・中東についての紛争は
日本ではほとんど報道されませんが、多くの人権侵害などの問題も抱えています。
イザヤ18章は7節しかないのですが、この章の預言の理解は難解であると言われています。その前のイザヤ17章の預言はダマスコ(シリア)の廃墟であり、近年、成就されたと言われています。
旧約時代の預言の成就が、近年、猛スピードで成就しているのを感じます。
アサド政権の独裁下のもと、何万という自国民が恐ろしい拷問にあって殺され続けていました。【閲覧注意】TORTURES SCHOOL CHILDREN TO DEAD
また、何百万という大勢の難民が国を出て放浪し、テント生活で苦しんでいます。テント生活では、水も悪く、悪衛生のもとコレラや病気にかかったり、日々どこかのテントで赤ちゃんの命が誕生しています。行った先々避難先の国でも、お抱え荷物のように扱われ差別を受けています。 シリア難民 - Wikipedia
なぜ、こんな卑劣なことが起きているのですか!?と神様に訴えたいですよね!
でも、人間が神に従わず、罪を犯すことを止めないから起き続けているのです。
覇権争い、資源争い、土地争い、貧富の差、環境破壊、独裁、拷問、戦争などは、すべて人間が生み出しているのです。
神が苦しみを止めないのは、神が地球上で起こるあらゆることを主権的にコントロールしていないからです。わたしたちの行動を侵害するわけでもなく、信じることを強制するわけでもありません。神は私たちが自発的に信じる者となることを望んでいます。神が御自身を信じることを強要する方であれば、信仰に基づくものではありません。
自分の身に起こることをすべて決定する強引な神を、愛することなんて出来ますか?
私たちは神の似姿に似せて創られたました。あなたには感情があり、自分の考えがあり、神を信じるか信じないかの能力も与えられています。
もし神がすべてを支配しているとしたら、殺人、レイプ、盗難、病気など、この世界が創造されて以来起こったあらゆる悪いことに対し、神が責任を持たなければならないのです。なぜなら、神御自身が、犯罪を許可し罪を犯すことを承認しているということになります。しかし、決して、そうではありません。
神御自身は人間の行為に責任を持たないということを、私たちは受け入れる必要があります。
神はすべての創造者であるという意味で主権者ではありますが、神はこの世で起こるすべてのことに責任を負っているわけではありません。神は人間の意思を侵すことはありません。神は、エデンの園に善悪を知る木を置かれたとき、最初から人間に選択する能力を与えられました。そして、人間に地上を支配する権利を与えられました。それこそ、私たちが選択する能力を持つ理由です。
そして、人間に、「海の魚、空の鳥、家畜、全地、および地の上に這うすべての這うものを支配しなさい」とおっしゃいました。
しかし、罪深い私たちの近くに忍耐深く寄り添い続けることはできないほどの聖い方であるのにもかかわらず、神は常に人間に手を差し伸べてこられました。
アダムとエバが、神に従わなかった時、彼らが神から隠れたのであって、その逆ではなかったことに注目して下さい。彼らは、罪を犯した後、神の御前から身を隠し、園の木々の間に隠れてしまいました。
神は、最初から常に人に手を差し伸べてこられましたが、人間側は、神を拒否し自分の道を歩むことを選んだのです。
もし神がすべてを支配しているのであれば、このような人間の裏切りや反逆行為は決して起こらなかったはずです。ですので、神様は私たちの行動をコントロールされていないことがお分かりいただけると思います。神様が困ったときに助けてくれないというわけではありませんが、正しい選択のみを強いるよう私たちの意思をコントロールし強制されてはおられません。
もちろん、欲や罪で溢れた人間界では、苦しみや悪いことは必ず起こります。
しかし、主はすでに救い主イエスをこの世に送って下さり、試練や苦難の時、どう対応すればよいのか答えてくださっています。
もしすべての人の心が新しく生まれ変わり、ローマ人の手紙8章にあるように神の霊に従って行動することができるようになるのなら、この世界はまったく違った平和に溢れたものになっていただろうと思います。
しかし、この地球と私たちが目にしているこの世は、決して、完璧には至りません。この世界も、一時的なものであることを忘れないで下さい。この世界は滅び、新しい天と地が到来します。
そして、イエスキリストを自分の救い主として受け入れたのであれば、私たちの命は永遠に滅びることがありません。これこそ、神が信じる者に与えて下さった約束です。