以前のブログに、殺生石のことを書きましたが、今になって気付いたことがあります。
殺生石が割れたことは御存知ですよね。
ビデオをみる限り、またもや、狐などの獣を拝んで解決しようとする風習・・・😢
そして、背後には龍の絵柄(*_*)
風習や伝統というのも慣れてしまうと、神聖なものと捉えられます。
儀式さえすれば邪霊が治まり神が喜ばれるというのは間違いです。
心から神に立ち返らなければ、何も改善されません。
この600年という数字は、聖書でいうメシアの再臨が来たる6000年の時代に突入することに関与していると感じます。6000年については、少し前に書きましたが、近いうちに再度、詳細について書きます。
殺生石が割れたのは、まさしく岩戸開きです。
誰が岩戸を開いたのか?
天照大御神です。
キリスト教徒の中には、「太陽神」はすべてラー信仰から由来しており、❝悪❞であると考えてしまう傾向があります。
しかし、説明したとおり 太陽神のルーツには2つあります。これを知らなければ
日本神話の理解が善悪反対になります。
1つはラー信仰のルーツ。1つは聖書のルーツ。
黙示録6章で、艱難時代の開始の「封印を解く」のは小羊(イエスキリスト)です。
これが、天照大御神による「岩戸開き」とパラレルです。
2022年3月4日に岩戸開きが起こりました。
その前に、2021年9月のシミータの開始がグランドオープニングだと私は考えますが、正式にいつ開いたのかは神のみぞ知ることです。
第1の封印が解かれ艱難時代(7年)がキックオフします。黙示録のシンボルは数字の『7』です。また、7の7倍=『49』という数字も関与します。『49』は「end (終わり)」という意味も持っています。
その時には、白馬に乗った偽の平和をもたらす反キリスト(偽キリスト)が登場しています。その時、コロナが開始します。偽キリストの頭には「冠👑」。「冠👑」はラテン語でコロナ。
その証拠に「黙示録」と「殺生石」の数字が、こんなにも共通しているというのは
関連性を無視できません。
天照大御神による岩戸開き、イエスによる封印を開く、という繋がりを数字がハッキリ証明しています。
それも、「殺生石」の数字にイスラエルの建国の年がありました!!
偶然ではありえない、殺生石は聖書の黙示と艱難時代の開始と関係しています!!😲
時代の流れで偶像崇拝が伝統や風習として受け入れられてしまいましたが、
日本はもともとは一神教の国です。
カトリックの大半の信者は、神様のことばではなく、ローマカトリックという組織の伝統に従い、法王・マリア像・ロザリオ・天使・聖人などを偶像崇拝しています。法王が認めた事しか許されません。たとえ神から啓示を受けたとしても、法王が認めない預言者はつまはじきにされます。
また、プロテスタントは、神学という学問や有名牧師を偶像崇拝する傾向があります。また、旧約・新約以外の外典をつまはじきにする頑固さもあります。
それぞれに誇りを持っており、宗派・団体に必要以上のプライドや拘りを持つのであれば、これも偶像崇拝に繋がります。
実際、カトリックとプロテスタントの敵対により結婚禁止、家族崩壊、戦争を招いた歴史が存在します。偶像崇拝は、何らかの形で滅びに向かいます。
人間は偶像崇拝しやすい生き物なんだと思います。だから心を見張る必要があります。
信仰は、組織や人について行くのではなく、神様だけイエス様だけです。
伝統、シキタリなど 長年染みついているしがらみを捨てなければ、本気で神様を知ることは難しいです。信仰には覚悟が伴います。
私は、信仰するうえで、人間が作り出した(追加した)キリスト教や神道の儀式には縛られないよう気を付けています。厄払いなどにもあえて行きません。
厄はイエス様が2,000年前十字架の上で一切取り除いて下さいました。神の流された尊い血潮には宇宙をも簡単に破壊できるほどの最強の力があります。すべてを清める最強の聖さがあります。神が犠牲を承知して流された尊い血には人類を罪と死からあがなえる強力な力が秘められています。
故、まことの神、その神のワザを信じる者には、永遠の命が約束されています。
※ 哲学といっても広い分野です。神に信仰をおくことを教える哲学もあります。
ここでは、神を否定し人間中心を教える哲学を指しています。