士師記:サムソンの話にみる神の教訓

昨日、神様から、エレミヤ書の御言を示されました。

その前に、ダン族についての説明が必要となります。

長いブログですが、未信者の方であっても、詳細なことも含め、ダン族について知識が深まると思います。

 

ダンは12兄弟(後に12部族へと別れる)の1人で、父はヤコブ、母はラケル(正確にはラケルの侍女ビルハでした。ナフタリ以外の残りの兄弟は、ダンにとっては異母兄弟でした。
ダンという名前はヘブル語で「JUDGE」(裁判者・審判者)という意味を持ちます。

モーセが民をエジプトでの奴隷状態から解放後、彼らは''約束の地(カナンの地)''を目指し、40年間、荒野をさまよいました。この間に部族社会が確立され、部族がそれぞれ異なる機能を果たし、しばしば別々に生活するようになったことが、出エジプト記レビ記民数記申命記などで語られています。
出エジプト記には、神ヤーウェの臨在と契約の箱を納める移動式の幕屋の建設を担当したアホリアブが登場しますが、彼もダン族でした。
民数記には、部族の国勢調査が掲載されています。この時点では、ダン族がユダ族(ダビデ王、サムエル王の血統)に次いで2番目に大きく、やがて王権を持つ部族となりました。

モーセの死後、ヨシュアに導かれた民は、神が約束した❝約束の地❞である地中海東岸のカナンに辿り着き、その地を受け継ぐことになります。まず、この地は12に別けられ各部族に与えられました。

ダン族は、敵であるペリシテ軍と接していたため、自分たちの領土ではすべての敵を倒すことができず、代わりに別の場所を征服しました。ダン族の領土にはヨッパの町が含まれ、地中海の東岸に位置しました。

カナンに定住した12部族は、指導者として自分たちを治める裁判官をダン族の中から選びました。裁判官とは、基本的に部族の長であり法的な裁定を下すだけでなく、集団を統率するリーダー的な存在でした。

士師記」に登場するサムソンもダン族の末裔です。サムソンも一時期は裁判官を務めていました。

 

サムソンの父はナジル人のマノアという人でした。ナジル人の誓いにより、サムソンは髪を切らず酒も飲まずに“清く”保つことを誓いました。サムソンは、素手でライオンも殺せるほどの尋常ではない腕力を神から与えられました。大勢の敵であるペリシテ人たちを、1人で打ち負かしました。しかし、ペリシテ人の女性デリラと結婚したことにより彼女に誘惑され、別の神々を偶像崇拝するようになります。デリラは陰謀に加担し、サムソンから、彼の腕力の秘密が髪であるということを聞き出します。サムソンは捕えられ髪を切り落とされてしまいます。誓いを破ったことにより、与えられた力を失なったサムソンは死に至ります。

 

士師記のお話 (人形劇バージョン):


士師記のお話(イラスト・バージョン):

 

士師記から、どんな教訓を学べるか?


 

 

さらに高度な話になりますが・・・

ダンには狡猾なところがあり、ダン族は「蛇」として喩えられています。

シンボルが「蛇」であるというのは、偶像崇拝に逸れていったことの象徴でもあります。

ダンが強靭であったことから、ダン族のシンボルは、蛇の他にも、龍・鷲・獅子・グリフォンなどもあるようです。

グリフォンとは、鷲の翼と獅子の下半身を合体させた鷲獅子。古代ギリシア時代のイッセドネス(現在のアフガニスタン付近)が発祥の民話に登場する幻の動物です。一つ目の人たちとグリフォンが見張りとなって、ゴールドを護った という話のようです。


 

以下、良い記事を見つけたので紹介させて頂きます。

※ ただし、法王は❝反キリスト(海からのぼってくる獣)❞ではなく、反キリストのシステムを助ける❝偽預言者(陸からくる獣)❞です。

聖書を読む限り、反キリストは1国のリーダーの立場であり政治家です。であるから、開戦を決定する・軍を指揮する・ドラコニアン的な法律を制定する、などの権限を持ちます。

一方、偽預言者である法王は「世界統一政府」に付随する「世界統一宗教」を目指して活動しています。

 

終末時代の終わり、ダン族(ヤコブの末裔)とエフライム族(ヨセフの末裔)が12部族として14万4千人の中に登場していません。14万4千人というのは象徴的に12という数字で表現されています(12×12)。

部族の名前が削除されている理由として、ダン族とエフライム族は 偶像崇拝の罪に陥ったからだとも言われます。しかし、南ユダ王国(2部族で構成)のユダ族もアッシリアの神々を拝み偶像崇拝に陥り、北イスラエル王国(10部族で構成)の部族たちも偶像崇拝の罪に陥りました(列王記上12、歴代誌上1:1-9)。

❝審判を司るリーダー的な部族であるダン族が、まず初めに偶像崇拝の罪に陥った故、外された❞、❝他の部族に増して偶像崇拝の罪が大きかった故、外された❞などという見解もあります。

また、❝ダン族の末裔から反キリストが出る故、外された❞という説もありますが、私はこの説を指示しており、これが大きいのではないかと思われます。

反キリストは、アッシリア人(ニムロデ)の末裔であり、及び、ダン族の末裔を重複している可能性が高いと考えています。

 

 

 部族の名前が、申命記民数記、黙示録によって、違っている理由は以下のことを考慮する必要があります。

例えば、エフライム族が、呼び名としてヨセフ族に含まれている可能性があります。だからこそ、黙示録にエフライムの名前が削除されているのかも知れません? しかし、ホゼア書にはエフライム族の激しい背教が記されています。背教( seek after smooth things: 滑らかなことを教える異端の教えに流れる傾向)が強かった故、エフライム族の名前が削除されてしまった可能性も考えられます。

確実な理由は判りません。

 

また、終末時代の「24人の長老」が誰なのかは、聖書には明確には記されてはいませんが、

私は、イエスの12弟子と最終的に選ばれた12部族のことを指しているという説に賛同します。

反キリストを生み出したダン族がここに入らないという根拠の確立が高くなります。

 

 

そして、反キリストがダン族から出るということについてですが・・・

現在の出来事とこういうふうに繋がります。

2017年、国民の前でスネーク・ポエムを披露するトランプ。

「 I was a snake(私は蛇だった)・・・」という説があります。

I was と過去形ですが、蛇と喩えられたダンが祖先であるというヒントが詩に隠されているのでは?

  

 また、以下の預言ですが、反キリストとして戻り、地獄に道づれにする者をたぶらかし、地獄行きを選別する裁く者である反キリストにも当てはまりませんか? 自分の民=米国人です。

 

 

しかし、米国人でなくとも無関係ではありません。なぜなら、米国というのは、世界中から人種が集まる❝世界の縮図❞であり❝人種のるつぼ❞です。❝米国人❞=❝世界の国々の人々❞という概念で捉えるべきです。

実際、反キリストは世界のリーダーとなり、バビロン・システムとして「獣の印」を導入します。

死神役の反キリストは、世界中にいる滅びに至る人々の選別のために来ます。

大艱難時代は、「根性試し、肝試し、信仰試し」の期間です。

その約3.5年後、イエス・キリストは、世界中にいる救いに至る人々の選別のために来られます。

 

大いに期待して選んだトランプでしたが、蓋を開けると、そうではなかったことに民は気付きます。

民の味方だと思っていた人物は、悪魔が送り込んだ残虐な支配者へと姿を変えます。

しかし、時遅し。歯ぎしりしようが泣こうがすべては遅かったのです。

神の声に耳を澄ますことをせず、自国さえという価値観やポピュリズムに走ったが故、独裁者によって支配される結果となって行きます。

 

 

同章には、神様は サムエルに以下のように語られ警告しておられます。

神に頼らず、人間の王を熱心に求める民に対して、神は忍耐で待っておられますが、実際は、とても残念に思っておられます。

 

 

 

驚きです・・・ (;^_^A

トランプを熱望する民の心が、旧約聖書の預言に こうもピタリとはまるのですよね・・・.

(聖書の預言は、過去に成就した預言が、現代や未来にも当てはまり、再度、成就される場合があります。)

 

米国福音派の7割は愛国を掲げ、「イエスがトランプを導き、アメリカを再び祝福して下さる」と妄信的に信じ込んでいます。日本でも「トランプが日本と世界を救ってくれる」と妄信する人が多々います。

「自分は聖霊を受けている」と断言するクリスチャンたち。しかし、彼らの多くは、聖霊を受けていても、聖霊に耳を傾けず 神の声を無視しています。結果、反キリストを応援しています。

彼らが悪い人だから騙されるのではなく、「神」よりも「政治」という人間が構築するシステムに解決を求めている故、こういった誘惑に流されるのです。実際、政治はオカネとの癒着があり、自己利益を求めたり、不祥事・忖度・派閥など頻繁に起きています。

もちろん、政治家が悪いだけではなく民の心が神様から離れていることに起因します。神の基準で人を選ばない故、まともな政治家であるのか見抜けません。

神に畏れ多い気持ちを抱かず、テクノロジー技術だけが地震津波を救える という価値観も同じです。

初詣、受験、就職、結婚、子宝などの願い事を祈願する以外は、神のことを想い出すこともなく、人間中心・自分中心で物事を考えてしまいます。

 

民が神の想いをスルーし、物質的な繁栄と経済の潤いを叶えてくれるリーダーを欲しがることは、どの時代の、どの国でも同じような傾向にあります。

国のトップに民のことを考えない、自分の腹に仕える貪欲な政治家が多いのは、選ぶ民側にも責任があります。

民が、神の導きや 神の御心を求めず、目先の利益などを重視して人を判断するがゆえ、人物を見抜けません。また、愛国というワードに弱く、また、ポピュリズムに流される人も多々います。ヒトラーの台頭は、まさに こういうことが起因していました。

 

選択や決断が必要な時は、自分の感情に流されず、常に、神に祈り、神に従えるよう求めるべきです。謙虚になり神に委ねることにより護られます。

自分の感情や頑張りだけで歩むなら、誘惑に敗けてしまい、サムソンのように失敗します。