愛国とヘイトは背中合わせ


図書館の本に、驚く話がありました(◎_◎;)!!

猿蟹合戦というか、オカルト合戦だったようです💦

 

上から順番に読んで下さい(一部ページは抜けています)

 

 

 

そして、一番恐ろしいのはこれ・・・

この独裁者の霊👿が 反キリストに入ってます。

トランプ=ヒトラーだと、ずっとこれを神様から語られてます。

❝身の毛もよだつ❞・・・と言えばよいのか、ゾクゾクしてブログ書いてます。

多分、日本人の中で私が一番これをリアルな恐怖として捉えていると思います。

 

 

❝歴史は繰り返す❞っていうけど、ヒトラーの霊が反キリストに輪廻する(既に輪廻した)のだと、私は確信しています。

ラビ・アロンが、輪廻(ギルガル)について、1人ではなく複数の人に魂が輪廻するケースを語っていました。

エピファネスやネロについても、別人ではなく同じ霊が輪廻しているのかもしれません。オシリスの霊はヒトラーにも分散された?ヒトラーの あそこがオシリス状態だったことが発覚 ⇩

                                         ソースヒトラーが絶対に誰にも見られたくなかった写真が発見される!

 

輪廻思想はカトリック教会によって改ざんされたのだろうけど、

エス様のセクトと推定されるエッセネ派も輪廻を信じていたと言われます。


 

改めてブログには書こうと思ってますが、

難民や移民や外国人に対して排他的になるのは、霊的に健全なことなのか考えて欲しい。難民・移民であろうが、捨て子であろうが、神様は世界中の人種と国々を愛しておられる。経済的、資源的、気候的に、豊かな国に生まれたのなら、それは神様のおかげで、自分が何か良いことをした特別な人間だから、その国に生まれたのではないのです。自分の国は自分のものではないのです。世界も宇宙も神様のものなのです。

私たちは、塵から生まれ塵に帰る存在です。何も所有せず何も持たないまま塵に帰ります。


私も、以前は政治的な感情や個人の体験から、近隣国の人たちに差別感情を持っていた時期がありました。今になって、何をあんなに躍起になっていたのだろうか?と自分が馬鹿馬鹿しく思いますが、知らないうちに愛国という執着の洗脳をメディアやSNSから受けていたのだと思います。

国のトップの決断により、ウクライナとロシアの民が巻き込まれ民同士の大きな分断とヘイトが生まれました。

他国への政治感情が湧いたとしても、ムカッ💢と来ても、そういうのをかなぐり捨てなければ滅びに向かいます。政治家やリーダーやメディアに扇動され、分断やヘイトの罠にかかってはいけない。

 

差別やヘイトを手放せなければ、神様に助けを求めて下さい。

神様は心にある苦みやトラウマを、独自の方法で取り除いて下さいます。

なぜなら、差別を止めないならば大きな代償を払うことになります。

狭き門です、天国に入れないかもしれません。

 


私が、他国を敵だとヘイトで捉えないよう訓戒出来るようになったキッカケは、輪廻転生を信じるようになってからでした。

そう、もしかすると、自分の前世は○○国の人だったかもしれないということ。その時の自分は、その国の文化を愛し、そこの言葉を喋っていた。でも、別の国に生まれたら、途端に前世にいた国を嫌ってしまった。立場が替わると 好き嫌いが逆転してしまった。自分が自分を憎むような矛盾に見えてきました。

 

また、いくら日本に、聖書の民が渡って来たというのが事実であったとしても、日本人全員が子孫ではなく一部だけです。十部族は、日本だけではなく全世界に離散しています。アジアの広範囲にも離散しています。決して日本だけではないのです。だから❝自分たちは選民❞だとうぬぼれてはならない。選民の役目は、選民だからと 傲慢になるのではなく、神を愛し神のことを伝えることです。

 

❝選民❞というコトバから読み取れるのは、❝選ばれた人❞。

逆を返せば、❝選ぶ者❞(=神) がいる。

❝選ぶ者❞である神が、御自身の権威で選ぶのであって、❝選ばれた人❞が自分を推薦して選ぶのではない。

❝選ぶ人❞の意向を無視して、❝我らは選民だ!縄文人だ!YAP遺伝子を持っている!❞などとプライドをかざしても無駄に終わります。的外れだから。

❝選び❞は、選ぶ人(=神様)が決定すること。

どんなに愛国の想いが強かろうが、神様から心が離れている人は既に選びから漏れてしまっています。

 

エス様について行くと決めたなら、イエス様のみ。

愛国に熱を入れると、道が逸れて行きます。

 

エスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。ヨハネ 18:36 

 

しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。ガラテヤ6:14-15