パウロは偽使徒なのか?

パウロは偽使徒だという話は、時々耳にします。

どう思いますか?

 

私が一番好きな新約聖書は、使徒行伝(Acts)・ヨハネ福音書(John)・黙示録(Revelation)です。

使徒行伝はパウロ(元々の名はサウロ)によって書かれました。

パウロは❝教会の父❞と呼ばれており、初代教会を形成した人です。

コリント人への手紙(Corinthians)を書いたのもパウロで、そこには教会がどうあるべきなのかという詳細が書かれています。

wikipediaの情報から自分なりにまとめました。

パウロの職業はテント職人でしたが、生まれながらのローマ市民権を得た高次な教育を受けた知識人でした。ベニヤミン族のユダヤ人で、もともと律法的に厳しいパリサイ派に属し、エルサレムにて高名なラビであったガマリエル1世のもとで学んでいました。

パウロは、ユダヤ教から分派したイエス派(後のキリスト教徒)たちと出会い、熱心なユダヤ教徒の立場から、初めはイエス派を迫害する側についていました。ステファノ(使徒たちの補佐であり最初の殉教者)を殺すことにも賛成していました。

ダマスコへの途上において、「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」と、天からの光とともにイエスキリストの声を聞いた時、目が見えなくなり視力を失いました。途方に暮れていたら、神から、キリスト教徒であるアナニアの所に行けば目が癒されることを示されました。アナニアの所に行った時、アナニアがサウロのために祈ると目から鱗のようなものが落ち、目が見えるようになりました。

こうしてパウロ(サウロ)はキリスト教徒となりました。紀元34年のこの出来事は「サウロの回心」と呼ばれています。

パウロ自身はこのエピソードを自ら紹介しておらず、単に「召されて使徒となった」と記しています。

その後、さんざん迫害していたキリスト教徒から受け入れられるまでに、ユダヤ教徒たちから何度も激しく拒絶され命を狙われるほどの、キリスト教徒へと変貌しました。

やがて、アンテオケ(※1)を拠点とし小アジアマケドニアなどローマ帝国領内へ赴き、会堂(シナゴーグ)を拠点にしながらバルナバやテモテ、マルコなどの弟子や協力者と共にイエスのことを伝える活動を行いました。(アンテオケは、古代の西シリアの河畔に建設された都市で、ヘレニズム 時代のセレウコス朝シリア王国の首都。シルクロードの出発点として知られる)

パウロは、死人が復活する奇跡を行った事もあります。彼は、特に異邦人の伝道に力を入れました。使徒行伝には、3回の伝道旅行の後、エルサレムで捕縛されたが、ローマ市民であるパウロに刑罰を科すには正式の裁判手続きが必要であり、そのためローマに送られ軟禁された。伝承によれば皇帝ネロが治める時代、60年代後半にローマで斬首刑に処され殉教したと言われます。また、ローマからスペインにまで伝道旅行をしたとの伝承もあります。

(※1)*1

 


さて、パウロが偽使徒なのか?どうかということに戻ります。

 

パウロは教会のリーダーは男性であるべきと主張しました。現代では、素晴らしい女性牧師も存在しており、現代に当てはめるのは無理があると感じます。女性ではダメというのも律法的であり差別です。

パウロの言葉を教会の都合で理解してしまうと、イエス様の言葉と矛盾が生じてしまうケースもあることを感じます。

ただし、パウロ自身、教会の頭は❝イエス❞だと言いました。牧師や教師ではないということです。教会の権威を高めるためにパウロの特定の言葉を用いて利用する教会・牧師・教師に注意することが大事です。神様は教会の中にまで縦社会を望んでおられません。

たとえば、教会の会員にならなければ❝洗礼❞を受けさせてくれない、という教会が日本には多々あるようですが、イエス様は、「われわれに属したら 受洗してもOK」とは教えられませんでした。

 

繰返しますが、パウロは、教会の頭は男性ではなくイエス様だと言いました。

エス様は、❝私について来なさい❞と仰いました。❝牧師を権威のトップとして、彼について行きなさい❞とは、仰いませんでした。

個人を大切にするゆえ教会という共同体が健全に成り立つのであって、信徒個人を犠牲にしてまで教会を優先させる のならイエス様の教えとは矛盾します。

エスを頭としない権威的な教会、人間的な教会であるのなら霊的に不健康です。

 

コチラのブログ記事を紹介させて頂きます。

>>パウロは、教会のことを、キリストを頭とする一つの体と表現しました。一つの体が多くの部分から成り立っていると説明しました。そして、それは、どのような部分もなくてはならない存在だということです。頭であるキリストにとって、なくてもいい部分は一つもないということです。キリスト・イエスは、一人一人を大切にしていてくださるということです。だからこそ、ご自分の命を犠牲にまでして、私たちの罪を赦してくださったのであり、私たちをご自分との関係の中で新しく生きる者として招いてくださっているということです。あるいは、教会は、一人一人が大切にされる所と言ってもいいのかも知れません。

 

まとめます。

パウロはイエスと福音を愛していました。

それは、使徒行伝(the Acts)から読み取れます。

ただ、パウロの言葉には誤解を招くような表現があると思います。

エスの教えよりパウロの言葉にフォーカスを当て過ぎてしまうと、教会の価値や教会中心のルールを優先してしまいます。パウロの言葉をどう解釈するかということが大事だと感じます。

パウロの思想を理解するのにはパウロを徹底的に研究する必要があります。

例えば、コチラは様々な聖書研究者による総合的な見解です。

 

 

また、パウロを肯定するだけでなく、パウロが偽使徒かも知れないという説を頭から否定せず、なぜ、そのような見解が存在するのかを知り、自分なりに考えてみることは必要です。周りの意見を鵜吞みにする前に、自分なりに考えるのです。

例えば、ニーチェの思想についても読み、ニーチェがどうして教会につまずいたのかを彼の思想背景を知ることも勧めます。

 

学問はまず疑うことから始まります。固定観念や先入観を捨ててみないと、新たな物事の発見は生まれません。反対意見についても、調べ考えてみることが大切です。

 

パウロが偽使徒だという方々は、危険でも異端でもないです。なぜなら、彼らは人間である使徒の発言よりもイエスの発言を重視しています。実際、イエスや聖書が教えることよりも、牧師や教師などの発言を鵜吞みにする人が多々います。

*1:アンティオケは、今日の私たちキリスト教徒のアイデンティティにとって重要です。なぜなら、キリスト教会はカトリック教会から始まったのではなく、キリスト教の教会のベースでありアイデンティティ(信仰、典礼、音楽、科学、文化)が形成されたのはアンテオケ(シリア)が出発点でした。アンテオケ(つまり古代のシリア全般)とそこに住む人々によって、私たちがイエスが約束されたものへの希望を学んだ場所であり、共同体でした。このシリア経由の東方キリスト教の教えは、1549年のイエズス会ポルトガル宣教師の到来よりも遥か昔に、日本にも伝来していました。